ESGの三文字のうち、中小企業の経営者から最も反応が薄いのが「G」——ガバナンスです。 「ガバナンスなんて上場企業の話でしょう」「うちは私が全部見ているから大丈夫」。そう言われることが少なくありません。 お気持ちはよくわかります。しかし、行政で長く組織を見てきた経験からも、そしてESGの評価軸から見ても、ガバナンスが最も効いてくるのは、実は規模の小さい組織の方だと考えています。 ■ ガバナンスとは「経営者を縛るもの」ではない ガバナンスという言葉には、どこか窮屈な響きがあります。社外取締役、監査役会、内部統制報告書——上場企業が多額のコストをかけて整備している仕組みを思い浮かべると、中小企業には無縁に思えます。 しかし本質はもっと単純です。ガバナンスとは、会社が壊れないようにする仕組みのことです。 具体的には、次の3つが機能しているかどうかに尽きます。 1. 重要なことが、特定の一人の頭の中だけに存在していない状態 2. まずいことが起きたときに、それが経営者の耳に入る経路がある状態 3. 決めたルールが、都合が悪いときにも守られる状態 上場企業がこれを社外取締役や監査役といった大掛かりな仕組みで実現しているだけで、中小企業には中小企業に見合ったやり方があります。 ■ 「社長が全部見ている」ことのリスク 経営者が現場の隅々まで把握していることは、中小企業の強みです。意思決定が速く、無駄がない。これは大企業には真似できません。 問題は、その状態が「経営者が健在で、判断力があり、社内にいる」という前提の上に成り立っていることです。 経営者が数か月不在になったとき、会社は回るでしょうか。取引先の連絡先、金融機関との交渉経緯、重要な契約の内容、システムのアカウント情報——これらが一人の頭の中にしかない状態は、経営の効率ではなく、経営のリスクです。 以前の記事でBCP(事業継続計画)を取り上げましたが、災害だけが事業継続の脅威ではありません。経営者自身の不測の事態は、中小企業にとって最も確率が高く、最も影響の大きいリスクの一つです。 また、「社長が全部見ている」という自負は、しばしば「社長には言いにくい」という空気とセットになっています。現場で起きている小さな不都合、ヒヤリとした出来事、取引先からのクレームの芽——こうした情報は、経営者が強く現場を掌握しているほど、かえって上がってきにくくなります。 ■ 中小企業でガバナンスが問われる具体的な場面 【取引先からの確認】 大企業のサプライチェーンに入っている企業では、ESGに関するアンケートが回ってきます。そこにはCO2排出量だけでなく、コンプライアンス体制、ハラスメント対策、内部通報の仕組みといったガバナンス項目が並んでいます。「特にありません」と答え続けることが取引の継続にどう影響するかは、考えておくべきです。 【金融機関の評価】 融資審査の場面で、経営の透明性や後継者の有無が問われる機会は増えています。決算書の数字だけでなく、その会社が「続く会社」かどうかを見られています。 【人材の定着】 評価や処遇のルールが不透明な組織からは、人が離れます。特に若い世代でその傾向が顕著です。人手不足が続くなか、ルールの明文化は採用と定着に直結します。 【事業承継】 承継の準備で最も時間がかかるのが、暗黙知の可視化です。ガバナンスの整備は、そのまま承継の準備になります。 ■ 明日から始められる、5つの実務 大掛かりな制度は要りません。次のことから始めてください。 1. 重要情報の棚卸しと共有 取引先の連絡先、契約書の保管場所、金融機関の担当者、システムのアカウント情報。これらを一覧にし、経営者以外の誰かがアクセスできる状態にする。紙のファイル一冊でも構いません。 2. 決裁のルールを一枚の紙にする いくらまでなら誰が決めてよいのか。この線引きが曖昧な会社は多いものです。金額の基準を決めて紙にしておくだけで、判断の迷いと不正のリスクが同時に減ります。 3. 現金・印章の取扱いを一人に集中させない 小規模組織で最も起きやすい不祥事は、経理の一人担当体制から生まれます。担当者を疑うという話ではなく、疑われる状況に置かないための配慮です。月に一度、経営者が通帳を直接確認するだけでも意味があります。 4. 言いにくいことを言える経路をつくる 従業員数が少ない会社では、匿名の内部通報制度は現実的でないこともあります。それでも、顧問の士業や社外の相談先を「困ったときはここに連絡してよい」と明示しておくだけで、状況は変わります。 5. 就業規則とハラスメント方針を実態に合わせる 作ったまま更新されていない就業規則は、いざというとき会社を守ってくれません。法改正への対応を含め、定期的に見直してください。 ■ ガバナンスは「守り」ではなく「準備」 ガバナンスの整備は、事故が起きてからでは間に合いません。そして、整備されていないことのコストは、平時には見えません。だからこそ後回しにされます。 しかし、ここまで挙げてきた実務は、どれも多額の投資を必要とするものではありません。多くは、時間を取って書き出すだけで始められます。 「うちは社長が全部見ているから大丈夫」——その状態を、「社長が見なくても回る」に少しずつ近づけていく。それが中小企業のガバナンスであり、結果として経営者自身を自由にする取り組みでもあります。 ▶ 当サイトの「ESGラクラク診断」では、ガバナンス項目についても設問を設けています。まずは自社の現在地を確認してみてください。