取引先から、ある日こんな依頼が届くことがあります。 「サプライヤー様の温室効果ガス排出量を教えてください。期限は来月末です」 初めて受け取ったとき、多くの経営者が戸惑われます。社内に環境の担当者はいない。何をどう数えればいいのかもわからない。かといって「わかりません」と答えるのは取引上まずい気がする——。 結論から申し上げます。この依頼に答えるために必要な作業は、思われているほど大きくありません。ただし、順番を間違えると何倍も手間がかかります。この記事では、その順番をご説明します。 ■ なぜ今、この依頼が増えているのか 背景には、大企業側の事情があります。 上場企業などの大企業は、自社が直接燃料を燃やして出した排出量(Scope1)と、電気などの購入エネルギーに伴う排出量(Scope2)だけでなく、原材料の調達から製品の廃棄までサプライチェーン全体の排出量(Scope3)も把握し、開示するよう求められるようになりました。 2026年7月に成立した金融商品取引法の改正により、サステナビリティ情報の開示と第三者保証は法律上の義務として位置づけられ、その規定は2027年4月1日から施行されます。日本のサステナビリティ開示基準(SSBJ基準)も、2027年3月期から適用が始まる企業群があります。 Scope3のうち「カテゴリ1(購入した製品・サービス)」は、つまり仕入先の排出量です。大企業が自社の数字を固めようとすると、どうしても取引先に聞かざるを得ません。だから依頼が来ます。 ここで押さえておきたいのは、この依頼は「御社の環境意識を試している」ものではなく、相手が自分の宿題を終えるために必要な部品を求めているということです。つまり、きれいな数字より、期限内に根拠のある数字が返ってくることの方が喜ばれます。 ■ ステップ1:計算を始める前に、質問の中身を確認する 最もよくある失敗は、依頼メールを読んですぐ電卓を叩き始めてしまうことです。 排出量の「正解」は、何を対象にするかで変わります。確認せずに計算すると、提出後に「これは当社が求めていた範囲ではない」と差し戻され、丸ごとやり直しになります。先に次の6点を相手に確認してください。メール1本で済みます。 ・対象期間(暦年か、御社の事業年度か、相手の事業年度か) ・対象範囲(会社全体か、相手との取引分だけか。工場が複数ある場合はどこまでか) ・求められているのはScope1・2だけか、Scope3も含むか ・単位(t-CO₂か、kg-CO₂か) ・算定方法の指定があるか(相手が特定の係数や様式を指定している場合がある) ・提出期限と、提出先の様式(エクセル様式が用意されていることが多い) 経験上、この確認をすると相手の担当者も喜びます。多くの場合、依頼メールは定型文を一斉送信したもので、細かい条件は書かれていないからです。きちんと確認してくる取引先は、むしろ「話が通じる会社」として記憶されます。 そして重要なことですが、ほとんどの依頼は、まずScope1とScope2だけで足ります。自社のScope3まで求められるのは、相手がかなり先に進んでいる場合です。確認すれば、作業量は大きく減ることが多いのです。 ■ ステップ2:請求書を1年分そろえる Scope1・2の計算に必要な材料は、ほぼすべて請求書と伝票の中にあります。新しく測定器を買う必要はありません。 集めるものは次の3種類です。 一つ目は、電気の使用量です。電力会社からの請求書・検針票に記載されたkWhを12か月分そろえます。契約が複数ある場合(事務所と工場、本社と営業所など)は、それぞれ分けて記録します。 二つ目は、燃料の使用量です。都市ガス(m³)、LPガス(kgまたはm³)、灯油・軽油・重油(L)、そして社用車のガソリン(L)です。ガソリンは給油伝票かガソリンカードの明細から拾えます。 三つ目は、補助的な情報として、電力会社・契約メニューの名前です。排出係数は電力会社ごと、メニューごとに違うため、後で係数を引くときに必要になります。 ここで申し上げたいのは、この作業は環境の仕事ではなく、経理の仕事に近いということです。請求書の整理であれば、社内で担当できる方がいらっしゃるはずです。 ■ ステップ3:係数をかけて足す 集めた使用量に、それぞれの排出係数をかけて合計すれば排出量になります。 電気については、環境省・経済産業省が「電気事業者別排出係数」を毎年度公表しています。自社の契約先の係数を使うのが原則です。燃料については、温対法の省令で燃料種別の係数が定められており、これも公表されています。 計算自体は掛け算と足し算だけですが、係数の年度と出所を間違えると数字が合わなくなります。当サイトでは、使用量を入力すれば係数の参照まで含めて計算できるCO₂算定ツールを無料で公開しています。社名や連絡先の入力は必要ありません。お手元の請求書の数字をそのまま入れていただければ結果が出ます。 ■ ステップ4:「一次データ」と「二次データ」を区別して書く ここがプロの仕事と素人の仕事を分ける一点です。 排出量の根拠には2種類あります。自社の実際の使用量から計算した数字を一次データ、業界平均や金額あたりの原単位から推計した数字を二次データと呼びます。 請求書のkWhから計算した数字は一次データです。これは精度が高く、相手にとって価値があります。環境省も「一次データを活用したサプライチェーン排出量算定ガイド」(2025年3月公表)を出しており、サプライヤーからの一次データ収集を推奨する流れが明確になっています。 一方、どうしてもわからない部分(たとえば複数テナントが入るビルの共用部の電気など)は、面積按分などで推計することになります。その場合は、推計であることと按分の根拠を併記してください。 提出する表に、次の3列を足すだけで十分です。 ・数値 ・根拠(「〇〇電力 2025年4月〜2026年3月 検針票合計」など) ・一次データ/推計(推計の場合は方法) これを書いておくと、相手が自社の開示で使えるかどうかを判断できます。逆に、根拠が書かれていない数字は、相手の社内で使えず再度問い合わせが来ます。二度手間を防ぐための一行です。 ■ ステップ5:台帳にして、来年の自分を助ける 今回の依頼に答えて終わりにしてしまうと、来年また同じ苦労をします。 エクセル1枚で構いませんので、次の形で残してください。 ・行:月(4月〜翌3月) ・列:電気(kWh)、都市ガス(m³)、LPガス(kg)、ガソリン(L)、灯油(L)…… ・別シート:使用した排出係数とその出所・年度 ・別シート:提出先・提出日・提出した数値(どこに何を出したかの記録) 請求書が届いたら月に一度、数字を1行書き足すだけの運用にします。所要時間は月5分程度です。これが積み上がると、来年以降の依頼には即日で回答できるようになります。 そして副産物として、毎月の電気・燃料の使用量が見える表が手に入ります。異常値があればすぐ気づけますので、省エネやコスト管理の役にも立ちます。 ■ 「答えられない」と言ってしまう前に 依頼を受けて最も避けたいのは、無回答のまま期限を過ぎることです。 もし期限に間に合わないと見込まれる場合でも、「現在集計中で、◯月◯日までに電気・燃料分(Scope1・2)をご提出します。Scope3については当社では未算定です」と伝えれば、それで困る相手はほとんどいません。相手も進捗を把握したいだけです。 むしろ、取引先の輪の中で「あの会社は数字を出せる」という評価は、思いがけない場面で効いてきます。環境対応ができる仕入先が足りていない業界も多く、聞かれたときに答えられること自体が差別化になりつつあります。 ■ まとめ やるべきことは、要するに次の5つです。 1. 相手に条件を確認する(期間・範囲・Scope・単位・様式・期限) 2. 請求書を1年分そろえる 3. 係数をかけて計算する 4. 根拠と一次/推計の区別を書き添える 5. 台帳にして毎月1行ずつ更新する 最初の1回に半日から1日程度、以降は月5分です。測定器も専門ソフトも要りません。 なお、この分野の公的な考え方は、環境省・経済産業省の「サプライチェーンを通じた温室効果ガス排出量算定に関する基本ガイドライン」(2026年3月にver.2.8へ更新)に整理されています。実務で判断に迷われた際の拠り所としてご参照ください。 ▶ 当サイトでは、請求書の数字を入れるだけでScope1・2を算定できる無料ツールを公開しています(社名・連絡先の入力は不要です)。あわせて、自社の全体的な現在地を知るためのESGラクラク診断もご用意しています。 (出典:環境省・経済産業省「サプライチェーンを通じた温室効果ガス排出量算定に関する基本ガイドライン(ver.2.8)」(2026年3月)、環境省「1次データを活用したサプライチェーン排出量算定ガイド」、環境省・経済産業省「電気事業者別排出係数」、地球温暖化対策推進法および同法施行令・関係省令、金融商品取引法の一部を改正する法律(2026年7月成立)、サステナビリティ基準委員会(SSBJ)公表基準) ※ 本記事は上記資料をもとに当社が内容を整理・要約したものであり、各資料の原文そのままではありません。